2013年12月27日金曜日

上海師走

















































































師走に入り日を重ねるごと大気がぐんぐん冷たくなる上海。この冷たさは東京地方よりも数段上の感覚で、ロングコートが手放せなくなる。不透明なこちらの大気の状態は、日本からだいぶ心配をされているけれど…日によってコンディションはだいぶ異なる。 一昨日の街はまあまあで、薄水色の空と白い雲を目にすることができた。昨日などはマスクが手放せない感じの曇り具合で、今日は一転、風で空気が流れたためか大気の見とうしだいぶ改善。pm2.5の数値は60〜くらいだった様子。

日本で以前しばしば出された光化学スモッグ注意報は、大気の色の変化ってどうだったかしらん…こちらの今の大気が時折グレーっぽくなるのは、石炭燃料のような煤けた空気がちらばる為とか。 澄んだ大気が取り戻せたらどんなにかよいだろう…遠く青い青い空が広がる上海の街を想い描いてはホゥ…ため息。
すすけたような空気の朝でも、市場に出かけ野菜果物たくさん買い込めば、ちょっとすっきりも。この時期ならではのクワイや冬筍、それに香菜はじめ野菜果物の種類が驚くほど豊富。市場内、製麺所のような一角では、さまざまな太さの麺が500g500円くらいで売られていて、それも含め毎回あれこれついついたくさん買い込む。市場ってどんな場所よりも興味深いナとここでも思う。

こちらに来てからは一日一日をこなすのに手探りで手一杯、時々追われるように過ぎて、気がつけばすっかり年の瀬。 秋期の中国語講義は先週テストがすべて終わりようやく一段落。久しぶりにまた学生生活を味わったここ3ヶ月で、国もキャリアも色々な人に会いさまざまな事も起きて、今にたどり着けたのが、なんだか少し感慨深い。

音楽の先生方にはやはりこちらでも恵まれ、上海フィルのステキな先生。 そして週末は弦楽パーティーで、ちょっとご褒美いただいたようなそんな夜を過ごす。久しぶりのターキー始め、心づくしのお料理数々。美味しいものはやはりみんなをhappyにしてくれる。シャンパンのほろ酔い気分での演奏なんて初めてで、愉快なものだった。それぞれの奏者の演奏のステキに大いに酔う。音色はやはり人柄、ハーモニーは空気感…人民広場から広がる上海の夜景がとてもきれいに映る夜だった。


2013年9月28日土曜日

敦煌莫高窟







































中国4大石窟の一つ、敦煌莫高窟は敦煌の鳴砂山の東1,600kmに彫られた600あまりの洞窟の数々で、350年頃〜およそ1,000年にわたり彫り続けられる。壁画や仏像たちからそれぞれの時代と東西の交錯が感じられ、とてもエキゾチック。流れる歴史の一時が各々洞窟に止められている。唐代の作品がいちばん多いそう。一般公開の窟は限られ、内部は明かりがないので懐中電灯をもって案内してもらう。

北大仏殿の96 窟は外側が補修工事中で、九層楼全景を観られず残念…内部には入る事ができた。仏像は下から見上げてちょうどよく見えるバランスに作られているそう。堂々としたその大きさにはひたすら圧倒されるけれど、袈裟の滑らかな質感やお顔など、大きな柔らかさも感じられる。洞窟内部はやはり写せないので、敦煌博物館内の遺跡の模写を記録。 壁画は秀逸なものが多く、美しい仏像たちは往事も今も人々の憧れを集める。天井に描かれた飛天は、時代の特徴をもってそれぞれが舞い奏でる。そして今は観光と鉄鋼の街、敦煌のシンボルとなって、あらゆる地からの人々を優美に迎えいれてくれる。


シルクロード








































陽関はBC93年ころ前漢時代に設置された関所で、玉門関と並び西に通じる要所。今は最古と言われる烽火台のみが残る。ここから西、ローランまではオアシスがないという。砂漠の数百kmを行くキャラバンの道行きは、どれほどのものだったのだろう…戻ってこられるかどうか生きていられるかどうかもわからない街道を、いったいどれほどの人が行ったのだろう。シルクロードの名の響きに、ロマンティックというよりも、おそろしいほどの厳しさと一層の幻想を感じた。

ガイドのHouさんが、王維の詠んだ詩を聞かせてくれる。陽関を越えて遥か安西へ派遣される元二と、それを見送る皇帝の姿が浮かぶよう。別れのそれぞれの想いが、澄んだきれいな声とともに胸にせまった。

渭城朝雨潤軽塵 Wei Cheng Chao Yu Jun Qing Jin
客舎青青柳色新 Ke She Qing Qing Liu Se Xin
勸君更盡一杯酒 Quan Jun Geng Jin Yi Bei Jiu
西出陽関無故人 
Xi Chu Yang Guan Wu Gu Ren

葡萄は敦煌の街へ戻る途中の葡萄畑にて。乾燥気候は葡萄の栽培に適していて、有名な産地。ワインや干しぶどうもたくさん作られる。甘いだけでない濃い味の葡萄は、梨やほかのくだもの同様にとてもおいしかった。



玉門関


























































敦煌からは西北にゴビの土獏を80kmほど、漢の武帝が築いたと言われる玉門関の跡地。西方への重要な関門で、三蔵法師がインドに向けて通過した関。そしてそこから続くのは漢の長城あと。当時の中国と西域を分ける場所で、土や草で作り固められた壁は、切れ切れながら玉門関から今も5kmほど続き、2000年間もの風雪を経て、その形を今に残していてびっくり。乾燥気候の土地ならではの製法と保存の可能のよう。植物の種類は限られ、その中でラクダが好むというラクダ草があちこちにみられる。

広がる大地の彼方から押し寄せる騎馬の大群は、いったいどのように烽火台からみえただろう。あちら側とこちら側、向かいあう戦闘にも、空と土獏のみ広がるここでは潔さのようなものしかない感じがした。きっと、彼方を見分ける目も、遥か遠くで響く蹄の音を聴く耳も、風を感じる皮膚などなど…すべての感度がたいへん昔の人々はよかったのね…と確信してしまえるようなところ。静かでひたすら広くて、なんとも気持ちがよかった。



嘉峪関城楼








































































万里の長城の西果て、嘉峪関(かよくかん)長城は“天下第一雄関”と言われた最西端の関所で、古代の軍事基地。秦漢代以降の歴代王朝がこの地に兵力を集中させた。要塞の上からゴビの彼方に望む山脈は、ここからかなりの距離がありそう。けれど、他の場所に比較して、反対側の山脈までの距離が一番狭い地で、防御に適した場所だったそう。7メートル近い壁に囲まれ、大門も思う以上に高い天井。 悠々として、門をくぐりくる騎馬上の武将や、西の国境を超えてやってくる異民族とその交流。2000年以上もの前の人々の往来が、ゴビで見る蜃気楼のように浮かび上がる気がした。