敦煌からは西北にゴビの土獏を80kmほど、漢の武帝が築いたと言われる玉門関の跡地。西方への重要な関門で、三蔵法師がインドに向けて通過した関。そしてそこから続くのは漢の長城あと。当時の中国と西域を分ける場所で、土や草で作り固められた壁は、切れ切れながら玉門関から今も5kmほど続き、2000年間もの風雪を経て、その形を今に残していてびっくり。乾燥気候の土地ならではの製法と保存の可能のよう。植物の種類は限られ、その中でラクダが好むというラクダ草があちこちにみられる。
広がる大地の彼方から押し寄せる騎馬の大群は、いったいどのように烽火台からみえただろう。あちら側とこちら側、向かいあう戦闘にも、空と土獏のみ広がるここでは潔さのようなものしかない感じがした。きっと、彼方を見分ける目も、遥か遠くで響く蹄の音を聴く耳も、風を感じる皮膚などなど…すべての感度がたいへん昔の人々はよかったのね…と確信してしまえるようなところ。静かでひたすら広くて、なんとも気持ちがよかった。
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