2011年12月16日金曜日

鮭魚群がるころ










今朝やってきたコゲラ。縞模様の背に陽の光うけさかんにコツコツ幹をつつく、とても熱心で念入りの様子。じきに小さな虫をくちばしにくわえた。樹皮の下で冬越しする幼虫たちにあらためて気がつく。ザクロはこの時期カリフォルニアから。左右のこぶし合わせるよりもずっと大きな実、中の粒は両の手が2倍分ほどのいっぱい。ぽろぽろほぐしながら甘酸っぱいルビー色を鳥のようについばむ。


2011年12月10日土曜日

満月









朝から次々に訪れたゴジュウカラ。しきりに色づいた葉を啄んでいるようす…よく見れば枝にはすでに新芽。日だまりの暖かさにしばしほっとする。夜になれば今日も冷え込み、満月は冴え冴え。真上近くに登ったころには月食はじまる。星座の合間くすんだようなオレンジ色に欠けゆく月があり、ふわり雲も散らばり…きれいな夜の空。







2011年11月23日水曜日

小雪の頃















今朝も木漏れ日が壁に一面で、水の中に目覚めた気分。日の出がだいぶ南寄りに。変わらぬ正確な移動にはあらためて感心したり、ほ…としたり。
かますの棒寿司としんじょ椀は先週の料理にて。しんじょに加えたのは落ち鮎の卵…晩秋の味覚。10尾ほどさばき身は揚げて椀種、そして南蛮漬けにする。かますのお寿司は初めて。脂のりあるのに淡白さ残し、思う以上に生くさみがなかった。新鮮なものが手にはいればこれも是非またトライしたい。


2011年11月16日水曜日

薔薇のころ










今ごろ毎年庭に咲く薔薇。苗を植え付けたのはいつのことだったか記憶も曖昧、折り紙を想いだすような黄色とピンクが可愛らしい。昨日はヒヨドリがたくさんやってきて、しきりに犬四手の小枝をついばみ口にくわえたり。巣の補強?冬支度いそしむそんな様子。
imacの故障はようやく解決。パワーサプライを交換する。PCにいかに振り回されているのかまたしばし実感。 手に触れてたしかにあるのは、目の前に流れる風や花の色、鳥のさえずりや奏でる楽器の音色、向き合う人、今この時…あらためてそう思った。




2011年11月5日土曜日

干し柿のころ










一昨夜届いた柿は段ボール一杯…約五十個。急いでレシピを検索。もしこれが五百個ならば夜なべかも…と想像しながら早速皮をくるくる剝く。カビの予防が必要ということなので、焼酎を刷毛で一つずつへぬってみる。へたについた枝を凧糸で結んで繋げ、重ならないよう吊るそうとするのに糸は絡むし少し乱れ気味。でも、終わってほっと。
翌朝ブラインドをひくと、大粒のオレンジ水玉が浮遊…なんだか愉快な風景が目に飛び込みちょっと歓声。樹々の黄葉がぐっと進むころたぶんきっと干し柿の出来上がり。うまくいきますように。
 





2011年10月31日月曜日

ハロウィンの頃



















今ごろは、その色と名前からチョコレートコスモスにとても惹かれる。チョコレートの香りは…一瞬のほんのり。今日は蕾みをたくさんつけた。 伐採して散乱したままの月桂樹の枝を掃き集めてみれば、乾いたせいかますます強い香り漂わす。少し前にいただき、何を入れようか迷っていたコロニアル・ウィリアムズバーグのtea caddyに葉を入れてみる。程よく乾燥が保たれそう。
昨日は演奏無事終える。シシリエンヌのメロディーは今日も頭のなかを巡り余韻残すまま…また新しい一年が始まる。先生方の演奏も多彩で胸いっぱい。一人一人誰からもそれぞれのドラマ感じ満たされていく。豊かな日。

2011年10月24日月曜日

霜降のころ
















曇りがちで湿度も高めの今朝。満開のアサガオに季節感が揺るぐ。盛夏の頃より蔓も太く元気、草花もようやくほっとしているような感じ。シルホサは早くも蕾みを開いた。
新しいレンガ部分は少し前に完成。以前造った右側のシェープにつなげるようトライ。今回も地面をならし砂利を敷きつめ、その上にレンガ一つ一つ水準をとり、金鎚で四隅をコンコン。隙間と形を微調節…相変わらず緻密な様子にため息。なかなか真似できない。それでも、モルタルと水の加減や練ることならば、ちょっと要領よくなったかな−…と思いながら手伝う。時間忘れてまた夢中になった。




2011年10月9日日曜日

寒露のころ
















真夏のブルーはきっと涼し気…そんな思いで植え付けた朝顔。暑さ負けのせいか、今ごろになってようやくぽつぽつと大輪をつける。同じく先月の台風をかいくぐったぶどう、今日おそるおそる袋をあけてみる。数房でも大きな粒に育ち、中にはすでに干しぶどう化したものもあったり。不揃いもなんとも愛おしい甘味だった。


2011年9月13日火曜日

月の夜

















真昼は強い陽光にさらされ目も肌も乾いてしまいそうなアンダルシア地方も、夜になれば大気は少し冷たいくらい、その落差がなんとも心地よい。グラナダの街も夜がふけるほどに活気づき、洞窟状のタブラオで観たフラメンコ舞台は9時半〜。夜ふけの道をゆっくり下って戻る途中、アルハンブラ宮殿のちょうど真上に月が昇り、アルハンブラ物語の夢想にまたクロスオーバーする。この夜はたぶん十三夜くらい…今日の十五夜にそう気がついた。あちらにも中秋の名月という言葉があるのかな…美しい月夜だった。


アルハンブラ物語
























































二日に渡り歩いたアルハンブラ宮殿内。精緻なイスラム模様、形式に圧倒される。アーヴィングのアルハンブラ物語を読むと同時だったので、印象深いというよりそこに立つと物語をそのままに感じるようだった。 戻ってから後日まもなく、宮殿の回廊を歩いている夢、そして薄暗い宮殿の一室にいる夢…2度も続けてみて、ため息したりびっくりしたり。日本に帰り着いたその日に出かけたアフタヌーン・コンサート〜チェロとギターの名曲集〜ではタルレガのアルハンブラの思い出の演奏も。甘いような美しいそして物悲しい旋律だった。



古都トレド










































中世の面影を残す街トレド。 マドリッド・アトーチャ駅からはRenfeに乗り南へ30分ほど。新幹線と同様の高速鉄道で、前日に往復切符をアトーチャでとる。 三方を川に囲まれた小高い丘にある街は、西ゴート〜イスラム〜カトリックの支配を経て、それぞれの文化の色が重なるでもなくとどまっているような不思議な感じ。 教会の塔に登ってみれば、半生をこの地で過ごしたエル・グレコの絵そのままの古都がそこに広がっていた。

柘榴の町


























マドリッドからイベリア航空で南へ一時間半、アンダルシア・グラナダに着く。 シエラ・ネバダ山脈から続くベガの肥沃な平野にあって、太陽の眩しさと強さにしばしクラリ。 鮮やかというより色が大気に散るような張り付くような…日向の白壁には思わず目をしばたく。 ここがフェデリコ・ガルシア・ロルカの故郷。 遥か昔、アルバイシンの丘の町並みはモーロ人の抵抗の砦となりその白い壁も石畳も流血に染まったという。 グラナダ陥落後もアラブ様式は残され、その余韻を今に伝えている。キリスト教会の中にもイスラムの形が残り、両方が同じところに混在していて、初めて目にする不思議な感じ。中世騎士道のさまざまな王や往事の人々の想いは、どんなところにあったのだろう…その悲喜にめぐらすほど町に惹きこまれる。「グラナダ」の名はザクロからの由来という。実をつけた木をあちこち目にし、アルハンブラ宮殿では、朽ちかけた床に目をひいたタイルの可愛らしい小さな赤…ザクロだった。