2011年9月13日火曜日

月の夜

















真昼は強い陽光にさらされ目も肌も乾いてしまいそうなアンダルシア地方も、夜になれば大気は少し冷たいくらい、その落差がなんとも心地よい。グラナダの街も夜がふけるほどに活気づき、洞窟状のタブラオで観たフラメンコ舞台は9時半〜。夜ふけの道をゆっくり下って戻る途中、アルハンブラ宮殿のちょうど真上に月が昇り、アルハンブラ物語の夢想にまたクロスオーバーする。この夜はたぶん十三夜くらい…今日の十五夜にそう気がついた。あちらにも中秋の名月という言葉があるのかな…美しい月夜だった。


アルハンブラ物語
























































二日に渡り歩いたアルハンブラ宮殿内。精緻なイスラム模様、形式に圧倒される。アーヴィングのアルハンブラ物語を読むと同時だったので、印象深いというよりそこに立つと物語をそのままに感じるようだった。 戻ってから後日まもなく、宮殿の回廊を歩いている夢、そして薄暗い宮殿の一室にいる夢…2度も続けてみて、ため息したりびっくりしたり。日本に帰り着いたその日に出かけたアフタヌーン・コンサート〜チェロとギターの名曲集〜ではタルレガのアルハンブラの思い出の演奏も。甘いような美しいそして物悲しい旋律だった。



古都トレド










































中世の面影を残す街トレド。 マドリッド・アトーチャ駅からはRenfeに乗り南へ30分ほど。新幹線と同様の高速鉄道で、前日に往復切符をアトーチャでとる。 三方を川に囲まれた小高い丘にある街は、西ゴート〜イスラム〜カトリックの支配を経て、それぞれの文化の色が重なるでもなくとどまっているような不思議な感じ。 教会の塔に登ってみれば、半生をこの地で過ごしたエル・グレコの絵そのままの古都がそこに広がっていた。

柘榴の町


























マドリッドからイベリア航空で南へ一時間半、アンダルシア・グラナダに着く。 シエラ・ネバダ山脈から続くベガの肥沃な平野にあって、太陽の眩しさと強さにしばしクラリ。 鮮やかというより色が大気に散るような張り付くような…日向の白壁には思わず目をしばたく。 ここがフェデリコ・ガルシア・ロルカの故郷。 遥か昔、アルバイシンの丘の町並みはモーロ人の抵抗の砦となりその白い壁も石畳も流血に染まったという。 グラナダ陥落後もアラブ様式は残され、その余韻を今に伝えている。キリスト教会の中にもイスラムの形が残り、両方が同じところに混在していて、初めて目にする不思議な感じ。中世騎士道のさまざまな王や往事の人々の想いは、どんなところにあったのだろう…その悲喜にめぐらすほど町に惹きこまれる。「グラナダ」の名はザクロからの由来という。実をつけた木をあちこち目にし、アルハンブラ宮殿では、朽ちかけた床に目をひいたタイルの可愛らしい小さな赤…ザクロだった。                                

2011年9月12日月曜日

オリーブの国




































9月初旬のマドリッド。 日中の気温は日本と同じくらい、空気はとても乾いた感じで日陰との温度差が大きい。濃く青い快晴続きに、時々白い雲が懐かしく思えるほど。 メトロの券一枚、あちこち乗り降りして歩く。 街の中でもやはりオリーブの木をよく目にした。 プラド美術館では裸のそして着衣のマハにも会えたけれど、ゴヤのさまざまな絵からはその印象とだいぶ違うものを多く目にした。時代ごとのアーティスト、そして今は特にレアル・マドリッドの本拠地というイメージからも強い個性を感じるところ。 そして、イベリア半島はレコンキスタの史実にどうしてもさかのぼり、遥か昔のことは今にもたしかにつながっていて、ため息がでるほど印象深い。 でも、なによりも、毎食のようにふんだんなオリーブを食べ、ワインとサフランの香りをかげば…やはりここもおいしい国だった。