2013年9月28日土曜日

敦煌莫高窟







































中国4大石窟の一つ、敦煌莫高窟は敦煌の鳴砂山の東1,600kmに彫られた600あまりの洞窟の数々で、350年頃〜およそ1,000年にわたり彫り続けられる。壁画や仏像たちからそれぞれの時代と東西の交錯が感じられ、とてもエキゾチック。流れる歴史の一時が各々洞窟に止められている。唐代の作品がいちばん多いそう。一般公開の窟は限られ、内部は明かりがないので懐中電灯をもって案内してもらう。

北大仏殿の96 窟は外側が補修工事中で、九層楼全景を観られず残念…内部には入る事ができた。仏像は下から見上げてちょうどよく見えるバランスに作られているそう。堂々としたその大きさにはひたすら圧倒されるけれど、袈裟の滑らかな質感やお顔など、大きな柔らかさも感じられる。洞窟内部はやはり写せないので、敦煌博物館内の遺跡の模写を記録。 壁画は秀逸なものが多く、美しい仏像たちは往事も今も人々の憧れを集める。天井に描かれた飛天は、時代の特徴をもってそれぞれが舞い奏でる。そして今は観光と鉄鋼の街、敦煌のシンボルとなって、あらゆる地からの人々を優美に迎えいれてくれる。


シルクロード








































陽関はBC93年ころ前漢時代に設置された関所で、玉門関と並び西に通じる要所。今は最古と言われる烽火台のみが残る。ここから西、ローランまではオアシスがないという。砂漠の数百kmを行くキャラバンの道行きは、どれほどのものだったのだろう…戻ってこられるかどうか生きていられるかどうかもわからない街道を、いったいどれほどの人が行ったのだろう。シルクロードの名の響きに、ロマンティックというよりも、おそろしいほどの厳しさと一層の幻想を感じた。

ガイドのHouさんが、王維の詠んだ詩を聞かせてくれる。陽関を越えて遥か安西へ派遣される元二と、それを見送る皇帝の姿が浮かぶよう。別れのそれぞれの想いが、澄んだきれいな声とともに胸にせまった。

渭城朝雨潤軽塵 Wei Cheng Chao Yu Jun Qing Jin
客舎青青柳色新 Ke She Qing Qing Liu Se Xin
勸君更盡一杯酒 Quan Jun Geng Jin Yi Bei Jiu
西出陽関無故人 
Xi Chu Yang Guan Wu Gu Ren

葡萄は敦煌の街へ戻る途中の葡萄畑にて。乾燥気候は葡萄の栽培に適していて、有名な産地。ワインや干しぶどうもたくさん作られる。甘いだけでない濃い味の葡萄は、梨やほかのくだもの同様にとてもおいしかった。



玉門関


























































敦煌からは西北にゴビの土獏を80kmほど、漢の武帝が築いたと言われる玉門関の跡地。西方への重要な関門で、三蔵法師がインドに向けて通過した関。そしてそこから続くのは漢の長城あと。当時の中国と西域を分ける場所で、土や草で作り固められた壁は、切れ切れながら玉門関から今も5kmほど続き、2000年間もの風雪を経て、その形を今に残していてびっくり。乾燥気候の土地ならではの製法と保存の可能のよう。植物の種類は限られ、その中でラクダが好むというラクダ草があちこちにみられる。

広がる大地の彼方から押し寄せる騎馬の大群は、いったいどのように烽火台からみえただろう。あちら側とこちら側、向かいあう戦闘にも、空と土獏のみ広がるここでは潔さのようなものしかない感じがした。きっと、彼方を見分ける目も、遥か遠くで響く蹄の音を聴く耳も、風を感じる皮膚などなど…すべての感度がたいへん昔の人々はよかったのね…と確信してしまえるようなところ。静かでひたすら広くて、なんとも気持ちがよかった。



嘉峪関城楼








































































万里の長城の西果て、嘉峪関(かよくかん)長城は“天下第一雄関”と言われた最西端の関所で、古代の軍事基地。秦漢代以降の歴代王朝がこの地に兵力を集中させた。要塞の上からゴビの彼方に望む山脈は、ここからかなりの距離がありそう。けれど、他の場所に比較して、反対側の山脈までの距離が一番狭い地で、防御に適した場所だったそう。7メートル近い壁に囲まれ、大門も思う以上に高い天井。 悠々として、門をくぐりくる騎馬上の武将や、西の国境を超えてやってくる異民族とその交流。2000年以上もの前の人々の往来が、ゴビで見る蜃気楼のように浮かび上がる気がした。



地下画廊






























上海から西へ、陜西省の西安をへて5時間ほどで、ゴビ(土漠)にある甘粛省の嘉峪関の空港につく。小雨模様のすっきりしない空にちょっとがっかりしたけれど、降水量の極端に少ないこの地では、雨はたいへん貴重で稀です、と言われ、それではきっとラッキーな日なのね−と思う。ドライバーとガイドに出迎えてもらう。二人とも敦煌で生まれ育った方々で、ガイドさんはきちんとした日本語を話す可愛らしい人。ドライバーも穏やかな方で、とても心強いと思った。

空港から15分ほど走れば、1600年程前の古墳群。魏晋時代のもので、100㎢のゴビに3000基以上があったという。どうにも想像しきれない広がり。1970年代の発見が最初で、今日内部を閲覧できるのは6号墓のみ。 北向きの階段を20数段ほどおりた地下には3室あり、建造はすべて日干しレンガで組まれている。特に天井に目をやれば、幾何学や力学を利用して絶妙に組まれた感じがよくわかる。壁には地下画廊と称される壁画の数々。レンガ一枚一枚に描かれた絵は、生き生きとして生活絵巻のよう。とっても印象深いものだった。地下内部の撮影は許可されないので、敦煌博物館にての展示を記録。

2013年9月24日火曜日

中秋の頃





















































































甘粛省で迎えた今年の中秋。敦煌の街はコンパクトで、上海に比べとてもさっぱりとしたきれいさ。少し高い建物にいれば、五色の砂粒の鳴沙山がどこからでも望める砂丘の街。名前とイメージに憧れた街にこうしていることが、なんだかとても不思議。ラクダに乗って砂丘を歩く。ラクダは思っていたほど高くはなくて、象や馬の背にいるよりずっと安堵感。それぞれの飼い主がコントロールしてラクダ達をひいていく。 砂嵐に対応できるその睫毛は異常に長くて、鼻先長い顔をより可愛らしい感じにしているけれど、その背にまたがれば、灼熱の下を行く彼らの身体のすごさが伝わってくる。岩のように頑健で忍耐強そう、皮膚や毛は砂漠の砂に同化しているようなごわごわした感触。

今ごろの日没は8時くらい。この日は玉門関や陽関などから始まり、お昼からはゴビの土漠を東へひたすら走ること約4時間。 120km/hほどでノンストップ、土漠と空を地平線がくぎる。鳴沙山についたのは夕方で、太陽は傾きつつもまだ上の方にあり陽射しの強さ感じる。丘の陰にはいればちょうど心地よい具合の温度で、空となめらかな砂丘が広がる風景はのびのびとして爽やか。ハングライダー達は砂丘の上に月を横切る鳥のよう。
これが日中であれば、砂の中で一瞬のうちに卵がゆでられてしまうほどという。日暮れのころの優雅な砂丘と、日中、熱く乾いて永遠のような過酷を感じさせる砂丘。そのコントラストを想像したら、ラクダの背でちょっとクラリ…息をのむ。 

街に戻り、歌劇場で観た舞台は、鹿が主役で仏教に所以のストーリー。バレエやダンス、新体操に軽業などなどパフォーマンス満載だった。 街の中心はサークル道路になっていて、その中央には中秋の月に琵琶を奏でる天女像。背中で琵琶を担ぐようにして奏でるのは、莫高窟の壁画に描かれた天女達のスタイルで、敦煌の街のシンボル。悠久の時を経て今も街と人々へ幸福の琵琶を奏でるよう。風雅な中秋の夜。