2012年9月24日月曜日

ウィーンの夜































































ウィーンで三夜続けて聴いたコンサート。 教会の一部から続くSALA TERRENAは、1781年16歳のモーツアルトが司教Colloredoに仕えて曲を弾いた、ウィーン最古のコンサートホール。 当時の雰囲気の中で今は毎夜室内楽が演奏される。4曲目演奏の最後はKV.525アイネクだった。 そして次の夜はオペラ座。1869年モーツアルトのドン・ジョバンニで幕開けしたところ。この日はバレエ、プロコフィエフのロミオとジュリエット。舞台に合わせての演奏の難しさをきいてはいたけれど、本当に、独特の集中が必要ということがボックス内から感じられ、舞台上と舞台下のハーモニーがつくり出すもののすばらしさにため息。 最後の日はバロック建築の美しいカール教会にて、モーツアルトのレクイエム。 ひたすらに和声のすごさを体感。楽器にない不思議な強さ響きをあらためて知る思いがした。



Jhohann Strauss-wohnung





























































地下鉄1号線でウィーン北駅の近く、ドナウ運河の北側にはシュトラウスが住んだアパートメント。今も使われていて、建物入り口には各戸への呼び出しベルが並び、共用の階段下にはベビーカーなどが置かれ、普通に生活感。美しく青きドナウ・はここで作曲されたそう。オルガンはキーの上にそれぞれボタンが並び、その左右端に取り付けられた折り畳み式ろうそく立てがなんともかわいらしくて、ほの暗い、柔らかい光の中で鍵盤を弾く様子が目に浮かんだ。 STADTPARK の静かな初秋の空気を歩くと、ブルックナーの胸像、そして公園中心に建つのはシュトラウスの金色の像。奏でているのはワルツ…たぶんきっと。




Shubert -Geburtshaus






































































ウィーン市街地からトラムで少し北へいくと、シューベルトの生家といわれているアパートメントがあり、今はミュージアムとして譜面や愛用のギターほかが展示されている。作られたおびただしい曲数の中、知っているのはそのごく一部だけれども…若さの持つ澄んだイメージある作曲家。早世の天才はウィーン中に軌跡を残し、今も往事の姿そのままで語りかけてくる。


Haydh-haus



















































 ウィーン西駅から数ブロックのところには、1797~亡くなるまでの12年間ハイドンが住んだ家があった。今はやはりミュージアムになっていて、天地創造と四季はここで書き上げられたそう。寝室として使われたという部屋の壁に展示された多くの譜面。自筆からも、きちんとしているというイメージそのままの個性感じる。それでも、ペン書きにはプリントにない柔らかさがあるので親しみも。正統のすごさを苦手がらず窮屈がらず、少しずつ向き合って、偉大なこの作曲家とその音色をもっと知りたいなと思えた。




2012年9月23日日曜日

シシィ伝説



























































王宮ホーフブルク内には、ハプスブルク家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの妻、エリザベートのシシィ・ミュージアムも。その生涯はシシィの愛称をもって今に語りつがれる。写真からも大変美しい王妃ということがわかり、その美しさを保つための努力が当時はたぶん彼女の行動同様に斬新で異端で…実像虚像ないまぜになるのは歴史上の人物の常であるけれど、シシィも同様でとてもミステリアス。短い波乱の生涯を送った女性だった。街中でロングヘアの美しい女性を見かけると、あ…シシィの様なひと…とついつい眺めてしまった。

ベルヴェデーレ宮殿は夏の離宮で、その上宮は19〜20世紀の絵画館。クリムトの絵がたくさん展示され、あのkissも。日本の書物を好み読んだというクリムトの金には、ヨーロッパの金細工と日本の工芸の反応を想像させられ、不思議な近親感。ほかにもエゴン・シーレやオスカー・ココシュカなど世紀末画家の絵が色々。ダークな色合いがとても美しい絵もあり、陰鬱なイメージとはまた別のものがあった。 美術史博物館では、ブリューゲルの絵、それにベラスケスなど、これもなじみある絵を間近でゆっくりみることができ興味深かった。